ピアフ
少し前に映画を見た そして泣いた
泣いた。 長い間立ち上がれなかった。 たぶん、映画館でなかったら、声をあげて泣いただろう。
フランスに20世紀の前半に生き 今もなお、私のような彼女を知らない世代の心も震わせる そんな歌手の伝記。
晩年(と言うにはあまりに若く彼女は逝ったが)海辺で編み物をするピアフに フランスから若い女性記者がインタビューに来る。 その最後の方で
若い女性にメッセージを 「愛しなさい」 男たちに 「愛しなさい」 子供たちに 「愛しなさい」
そのセーターは誰に 「着てくれる人のために」
上品であるともいえず わがままでないともいえず モルヒネ中毒で、浴びるほどのアルコールと病と・・・ たくさんの男の人を愛し、たくさんの友を愛し・・・・傷つき
そんな中で彼女が出会った歌(邦題)『水に流して』 『Non, je ne regrette rien』直訳すると、「後悔なんて全く何もない」 その中の 人が私にした良いことも悪いことも私には同じこと
その歌詞を聴いたとたん、 「この歌は私の歌よ!!!!」と言い切り、病気のために中止を検討していたオリンピア劇場での公演での発表を目指した。
映画は、死の一日前ピアフが過去を回想し取りとめもなくしゃべる様子と オリンピア劇場での初日、『水に流して』を歌い上げるまでが織り成されて終わってゆく。
映画では取り上げられなかった部分がたくさんあることを後で知った。
幸福とはいえない生い立ちの中で、ピアフには幸運な出会いがたくさんあったようだ。 その出会いの中でたくさんの人に愛され、彼女は不良娘から気品のある態度も身につけ、勉強に励み、 惜しみなくお金を使って後進を育て・・・ 愛して愛して、 愛の賛歌のような、なりふり構わない激情の愛を経て その愛を失い なお人を愛し 歌を愛し、人生を愛し
幼い頃に一度失った目に再び光を蘇えらせてくれた、聖テレーズへの信仰を終生つらぬき、祈りを欠かさず、いつも十字架を身につけ
47歳で80歳の様相になるほどの速さで生きた
ピアフは事故の後遺症やリウマチの痛みのために中毒になるほどモルヒネを使っていた
だがそれは、つねに最高の歌を歌いたかったからではないかと言う人たちがいる。
私もそうではないかと思う。
ピアフが作詞した「愛の賛歌」の直訳をはじめて読んだときは、その激しさに驚いた。歌詞にはこんな言葉が綴られている。
愛が得られるのなら 世の中や地球がどうなっても構わない 盗みだって何だってやる 愛する人が死ぬことさえ構わない だって自分もいつか死ぬのだから そうしたら神様のもとで二人は愛し合う
失明から救ってくれたと言う聖テレーズを、生涯深く信仰し、十字架を常に身につけ、毎日祈りをささげていたピアフと、彼女の人生に対する情熱が二重写しとなって、聞こえてくる。
生も死もはるかに超えたところから愛を見つめていたのではないだろうか。
愛とは、人生、そして歌・・・
そのピアフが行き着いたのが、
『Non, je ne regrette rien』
そこに私は、許しと、人生そのものへの愛をも越える
大いなるものへの深い感謝を感じるのだ。
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ずっと前に、とても悲しいことがあって、大声で泣いていた時 「それでも愛しなさい」と言う言葉が胸の中に居座った。その時は、そんなこと聞きたくなった。 そんなことがあった。
それよりもずっとずっと前、まだ人生がどういうものかもよく分からず、闇の中をもがいていた頃。 お風呂上りに、ほっとひと息ついたとき。 「人生では良いことしか起こらない」 みぞおちあたりにピタッと張り付いて、真実だと言う妙な自信があった。
そして、ピアフと共振した。 あるいは、映画を製作した監督と。
2007年10月8日の出来事。
今日はピアフが生まれた日
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